スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

長野へ

久々にこのカテゴリーの話題。
先週の日曜日(6/20)、妻が来日していたダライ・ラマ14世の講演を聴きに行くことになっていた。
その送り迎えと子守りのため、全員そろって長野市へ向かった。

当初の予定では、講演の時間の間、子ども2人を連れて長野電鉄の特急『ゆけむり』に乗る予定でいた。
しかし、妻を会場へ送って長野駅へ向かう途中、財布にお金が入ってない!ことに気づいた。
子どもたちに説明して、急遽乗車は取りやめ、眺めることで納得してもらった。
見やすい場所、ということで掛け替え工事の済んだ村山橋へ行き、その後移動中に屋代線を見ながら、篠ノ井線の稲荷山駅付近へ移動した。

屋代線
E-1 /ZUIKO Digital ED 50-200/2.8-3.5 SWD
村山橋は子どもに電車を見せるのを優先し、写真はなし。これは移動中に出会った屋代線の電車。
屋代線は存廃が話題になっているが、地域の足として走り続けてほしいものだ。
屋代線雨宮~岩野間にて。

しなの
E-1 /ZUIKO Digital ED 50-200/2.8-3.5 SWD
続いて、篠ノ井線の稲荷山駅付近へ。「しなの」を見に行ったわけではないが。
いまどき、8両編成でパンタ4つというのも、なかなか壮観。

201系H4編成
E-1 /ZUIKO Digital ED 50-200/2.8-3.5 SWD
今回の目的。中央線に残っていた2本の201系のうちの1本が引退し、廃車回送のため篠ノ井線を駆け抜けた。
ちなみに、上の写真もこれも、下の子を肩車して撮っている(三脚使用だけど)。
[Chikuma & Nagano, SHINSHU, on June 20, 2010]

| Rail & Trains | 21:45 | コメント:2 | trackbacks:0 | TOP↑

コメントをどうぞ!

屋代線

こんばんは♪

存続問題の屋代線、線路脇が高校時代の通学路でした(笑
ご存じかどうか旧国鉄時代、長野~上野間に「信州号」という急行が走っていました。
あ、特急あさまの走る前です。。。
で、その車輛が一部屋代駅で切り離され河東線(今の屋代線)を走り、湯田中まで行ってました。
高度成長期、志賀高原がスキー客で溢れていた時代。
今となっては古き良き時代でもありました。。。

| こば | 2010/06/28 19:16 | URL | ≫ EDIT

Re: 屋代線

>こばさん
コメント、ありがとうございます。

> 存続問題の屋代線、線路脇が高校時代の通学路でした(笑
そうでしたか。それはさぞかし、懐かしい場所でしょうね。

> で、その車輛が一部屋代駅で切り離され河東線(今の屋代線)を走り、湯田中まで行ってました。
自分の記憶がまだ定かではないほど小さいころ、親に連れられて志賀高原へスキーに行ったことがありました。で、その時に上野からの直通の急行に乗ったということはおぼろげながら覚えています。
きっと、その急行だったんでしょうね…。

> 高度成長期、志賀高原がスキー客で溢れていた時代。
> 今となっては古き良き時代でもありました。。。
今の静かな志賀高原からは、想像しがたいですね。

余談ですが、数年前に仕事で志賀高原へ出かけたとき、東館山のゴンドラリフトがその小さいころのかすかな記憶のままだったので衝撃を受けました。
冬季五輪の時、外国人の選手には窮屈だったのでは…?と思いましたが。

屋代線、残ってほしいのですが、今どき冷房なしでは敬遠されますね…。

| itadori | 2010/06/28 23:42 | URL | ≫ EDIT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://sorakumokaze.blog89.fc2.com/tb.php/711-51cc9acc

TRACKBACK

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。